フィギュアスケート全日本選手権でとの悲しい別れを乗り越えて2年ぶり5度目の栄冠をつかんだ浅田真央(21)。48歳の若さで亡くなった母の匡子さんは、亡くなる前に名古屋市内の自宅の隣に新居を購入していた・・・
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5歳でフィギュアを始めた真央を見守りながら、「これからはスケート以外の経験もたくさんさせてあげたい」と女性としての真央の幸せを願っていた。

閑静な住宅街にある新しい家は、匡子さんの愛が詰まった大きな遺産になった。

母の愛は何よりも深かった。1人の女性としての真央の幸せを願う匡子さんは、生前に大きな買い物をしていた。亡くなる前、名古屋市内の住宅街にある自宅の隣で空き家になった物件を購入した。関係者は「荷物を整理できるし、桜の木を植えたり、ガーデニングができると喜んでいた」と明かした。

匡子さんは真央を幼少期から毎日リンクまで送迎し、時にはコーチのように厳しく指導した。 一方で、大人になった娘の未来の幸せを純粋に祈っていた。昨年2月のバンクーバー五輪が終わり、匡子さんは「今までは真央にスケートだけをやらせてきたが、これからはスケート以外のいろいろな経験をさせてあげたい」と楽しみにしていた。

現在、真央は練習のため、愛知・豊田市の中京大の近くのマンションに暮らしている。ガーデニングができるほど大きな庭のある家を、母と娘が静かに、仲良く過ごす場所として考えていたのだろう。真央が将来家庭を持ち、ゆっくりと家族で過ごすための拠点のつもりだったのかもしれない。

母娘を近くで見てきた関係者は「真央にとって匡子さんは母であり、先生であり、親友だった。彼女がいなければ今の真央はいない」と話す。匡子さんはバレエの教養を生かして独学でフィギュアを学び、B5サイズの紙にメモを取りながら練習を見守った。

そんな姿を見て、周囲からは「素人が何をやっているんだ」と嫌みを言われることもあった。それでも匡子さんは「何よ! 私も頑張ってるわよ」と陰口にもめげなかった。コーチ不在の時には代わりに助言し、トレーナーがいなければマッサージを行うなど献身的に尽くした。

体調を崩してからはリンクに足を運ぶことができなくなったが、家族を思う気持ちは変わらなかった。真央が2度目の五輪に向けて再出発した矢先に逝ってしまったが、愛の遺産は残っている。娘の幸せを祈りながら、これからも天国で見守り続けるに違いない。
以上スポーツ報知



浅田選手にとって今年は母親の病状の悪化に父親の臓器提供、震災、そんな多くの不安を抱えながら、スケートの練習と試合の日々は大変つらく想像を超える苦しみだったと思います。

母の死の直後に勝ち得た全日本選手権の優勝は本当に素晴らしく、日々の努力の賜物と浅田選手の心の強さだとしか言えませんね。喜びの笑みを浮かべていたものの、心中はまだ晴れることはないと思います。

来年の世界選手権では浅田選手が納得できる演技で終えることを願うばかりです。

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